離任の日。2年間住んだマレーシアの田舎の家を出発。
朝出発してKota Kinabalu経由で夜には日本着。こんなに近かったんだと初めて気がついた。一時帰国で帰る時には一度もそんな風には感じなかった。一時帰国制度はあってもなかなか帰れる環境ではなかったこと、日本に行ってもすぐに戻ってこなければならないことが多かったこと、皆が温かく迎えてくれても生活の主体が海外にある以上お客さん気分が抜けなかったことなどなどで、実距離以上に日本を遠く感じていたんだなぁと思う。
2005/03/06に日本を離れたので丸5年の海外生活。うちタイが3年とマレーシアが2年。よく「タイとマレーシアどっちがいいですか?」と聞かれたけど「タイ」と答えていた。人間はうまくできているもので、タイでもいっぱいあった辛いことは風化していって良い思い出だけ残り、辛いことが目の前の問題であるマレーシアの点数が下がっているのだと思う。日本の生活が始まればマレーシアであった辛いことも風化していって良い思い出だけが残るんだろうか。そして日本の点数が下がっていくのだろうか。
違う違う。人生を一本の線として見ればタイ/マレーシア/日本と区切る必要はない。どこにいても辛いことはある。でも振り返れば辛い部分は風化してそれに関係する良いことだけが記憶に残る。だから辛くても生きていく意味がある。人間はうまくできている。人間は生きていくようにできている。そんなことを帰りの飛行機の中で考えていたのでした。これがこの駐在のまとめです。
2 件のコメント:
SRTNさん
海外生活完遂ですね。 ご苦労様でした。
新装「日本の都会暮らし」引き続き楽しみに
しております。
「タイの都会暮らしby単身赴任」真っ只中の
Krungthepより
> krungthepさん ありがとうございます。お陰さまで無事帰ってまいりました。ゴミの分別が難解ですし、駅で周りの人の歩くスピードについていくのが大変ですが何とかやっております。一時帰国の際はぜひご一報を。
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